親友のしょうたがいなくなって、一年たった。

2月3日。
今日は親友の命日だ。
一緒にアホなことばかりしてたから、上司には一緒の患者さんとかは担当させてもらえなかったけど、職場でもプライベートでも本当によく一緒にいたと思う。

去年の2月3日旅たった翔太。
やっぱり、なんだかんだいってもまだ信じれないのである。
お陰様で口調も変になる。

僕の親友、翔太はお調子者でムードメーカー。
でもやる時は必ずやる男。
一緒によく飲みに行ってたのに、ある日突然「トライアスロンに出る」と言い出したかと思えばお酒も飲まなくなり、毎日走ったり、自転車漕いでたりしていた。
音楽も一生懸命で、前にギター教えてと言ってたはずなのに、いつの間にかライブを開催するまでになってたりと、彼には何事にも一生懸命。

色々と驚かされたり、元気をもらってたりした。
ほんと思い出を語り出せば色々出てくる。

でも今一番思い出すのは。
彼が旅立つ前の2週間前。

僕が落書きみたいな絵をストーリーに出したらむちゃくちゃ褒めてくれて。
それがなんか無茶苦茶嬉しくて。
翔太に褒められるって言うのが本当に本当に嬉しかった。
僕も何となく諦めてた“自分の絵でご飯を食べる”こともまた思い出させてくれたような気がした。

でも、まさかその2週間後に亡くなるなんて思ってなくて。
バイトをしながら見た、翔太の奥さんから来たLINEで衝撃を受けた。本当に本当にびっくりした。
びっくりしたとか言うレベルではない。
もう手がつかないって本当にあるんだってくらい何も考えられない状態になった。

何もできないんだけど、何も出来ない僕は涙を流しながらとりあえず金属を磨いた。
幸い、機械の音で僕が泣いてることには誰にも気が付かなかったと思う。

お通夜、お葬式を終え。
その後、ずっとなんかひっかかってる。
自分は最善を尽くしているのか?
甘えているんではないのか?
翔太が言ってくれたみたいに僕の可能性を僕が遮断してはいないのか?
以前よりそう言うのを考えるようになった。


でも、何だろうか。

苦しければ苦しいほど、何も出来ない自分がいたり。それじゃあダメってわかってる自分がいるけど動けない自分がいたり。

色んな角度で自分を見れるようにはなってきたのかもしれないけど。まだ自分に甘えてるような気もする。

ふとした時に、しょうたが出てくる。

頑張る気持ちと、挫ける気持ちがある今、彼の思い出が力を貸してくれるような気がしてます。

できっこないをやらなくちゃ。
って気持ち。

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